September 9, 2010
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2010
Rolex 24 At Daytona
Daytona (FL), USA
January 30 - 31, 2010
ロレックス・デイトナ24時間決勝の長い夜間走行

January 31, 2010

ロレックス・デイトナ24時間は、24時間レースのなかで最も夜間の走行時間帯が長い。他の24時間レースは夜が短い夏に開催されているのに対して、ロレックス・デイトナ24時間は日照時間が最も短い冬の時期に開催されているためである。決勝スタートから17時間が経過した時点で明け方を迎え雲を通した陽光で明るくなったが、それまでのうち13時間は夜間照明のなかで行われていた。

明るくなったおかげで、トラブル無く走っているのは何台なのか確認しやすくなった。16時間目を経過した時点のトップはジョアン・バルボサ(#9 アクションエクスプレスレーシング・ポルシェ/ライリー)で、マックス・パピス(#01 テルメックス・BMW/ライリー)と、ブライアン・フリセル(#6 マイケル・シャンクレーシング・フォード/ライリー)が、それぞれ2位と3位につけていた。この16時間経過時点で、トップは1,765マイル(2840.4㎞)を走行し、45回のトップの入れ替わりがあった。GTクラスでは、スペンサー・パンペリー(#71 TRG・ポルシェGT3)がリードし、ヨルク・ベルクマイスター(#67 ショーアテル/オープンウェーヴ・ポルシェGT3)とシルヴァン・トレンブレイ(#70 カストロールシンテック・マツダRX-8)が2位と3位につけていた。

ロレックス・デイトナ24時間は、常に出来事が豊富なレース展開となり、クラッシュなどのレーシングインシデントや、マシントラブルはつきものである。真夜中頃、#77マクドナルド・フォード/ダラーラがトランスミッショントラブルに見舞われ、ガレージで2時間はりついた後、レースに復帰した。その頃、DP(デイトナ・プロトタイプ)lクラスのトップ4台は、5秒差以内という接戦を展開していた。ドライバー交替とピットワークがルーティーンとして行われるかたわら、接触があった車両はその修理作業のためにピットでより長い時間が費やされた。ピットクルーは、夜の間もルーティーンの作業でも、予定外の修理作業でも超人的な働きで、最小限の時間でドライバーとマシンをコースに送り出した。

NASCARとインディカーのベテランであるダリオ・フランキティ(#02ターゲット・BMW/ライリー)は走行の間の休息の取り方を次のように説明してくれた。「キャッチ22状態(どっちを選択しても困難な結果になる状態)なんだ。レースも見たい。とてもエキサイティングだし、私自身がレースファンだからね。でも、一方では自制して仕事に専念もしなければならない。そこで、私は少しテレビを見てから眠るようにしている。次の走行順が来るまで6時間あるので、その間に食事を摂ったり、テレビを見たり、眠ったりしている。そして、また夜間走行に向かうというわけだ」。

もうひとりNASCARのベテランであるジミー・ジョンソンも同様だという。「私は一晩中座って、テレビを見る。テレビ放送が終了すると、その後は休息にあてている」。

午前5時30分、朝の空気はメインストレートを駆け抜けるマシンのかん高いエンジン音と、インフィールド区間のコーナーを抜けるマシンのシフトチェンジによるリズミカルなエンジン音で満たされていた。この朝の時間帯が、レース全体のなかでもっとも緊張感が高まるときである。全員が、夜明けを待ち、そこで厳しい夜の時間を終えて、コース状の状況を明確に把握しようと努める。マックス・パピス(#01テルメックス・BMW/ライリー)が、2位のジョアン・バルボサ(#09 アクションエクスプレスレーシング・ポルシェ・ライリー)と3位のマーク・パターソン(#6 マイケル・シャンクレーシング・フォード・ライリー)をリードしていた。GTクラスでは、アンドリュー・デイヴィス(#57 スティーヴンソンオートモーティヴグループ/ブライアン・マーク・カマロGT.R)がトップで、それをスペンサー・パンペリー(#71 TRG・ポルシェGT3)とセス・ニーマン(#67 ショーアテル/オープンウェーヴ・ポルシェGT3)が追う展開だった。

この時点で、マシンにも人間にも疲労と限界が訪れ始めていた。すでにギヤボックスを4回交換し、ドライイブシャフトも交換していた#10サントラスト・フォード・ダラーラは、電気系統のトラブルが発生。#75 クローンレーシング・フォード/ローラは5位走行中にピットストップし、ブレーキパッドを交換し、右前のアップライトの修理を行った。さらに497周目には、バート・フリセル(#60 クラウンロイヤルXR・フォード/ライリー)が走行中にフロントカウルを飛ばしてしまい、その後処理のためにフルコースコーションになった。こうしたなか、各チームは終盤の追い上げによって表彰台確保を狙うため、この時点から順位維持に全力を注いでいた。

朝8時30分の段階でのトップは、AJ・アルメンディガー(#6 マイケル・シャンクレーシング・フォード/ライリー)で、2位はマイク・ロッケンフェラー(#9 アクションエクスプレスレーシング・ポルシェ/ライリー)だった。2位の#9号車は、528周終了時点で、140周の最多トップ周回を記録していた。3度の優勝を誇るスコット・プルーエット(#1 テルメックス・BMW/ライリー)は3位につけていた。GTクラスでは、スペンサー・パンペリー(#71 TRG・ポルシェGT3)がトップで、ヨルク・ベルクマイスター(#67 ショーアテル/オープンウェーヴ・ポルシェGT3)とシルヴァン・トレンブレイ(#70 カストロールシンテック・マツダRX-8)が2位と3位につけていた。

午後3時30分のゴールに向けて時計がカウントダウンを続けるなかで、各チームは終盤の戦略を立て始めている。マシンをいたわって走るのが最重要事項だが、反面優勝も目指したい。自制心とアグレッシブさを最高の次元でバランスをとって走る事がドライバーに求められるようになる。

ロレックスとモータースポーツ - ロレックスとモータースポーツとのかかわりは、1930年代のサー・マルコム・キャンベルまで遡る。1935年、サー・キャベルはロレックス・オイスターを装着して陸上車両の速度記録に挑戦し、人類初の時速300マイル(時速482.7㎞)を突破した。ロレックスは、1959年にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイとのジョイントを開始し、モータースポーツ界での地位を確固たるものとした。そして1992年からは伝統の耐久レースデイトナ24時間の冠スポンサーとなり、ロレックス・デイトナ24時間となっている。このデイトナ・スピードウェイとのジョイント開始から間もなく、ロレックスはスピードを愛する人達のために積算タイムの計測と平均速度の計算機能を備えた腕時計コスモグラフ・デイトナを発表した。

ロレックスは現在もモータースポーツ界でのプレステージイベントに参画している。耐久レースでは、このロレックス・デイトナ24時間のほか、ル・マン24時間、ユーロピアン・ル・マンシリーズ、ロレックス・スポーツカーシリーズに参画。マシンデザイン、スピード、パッション、耐久性を競った歴史的なレースを記念する、グッドウッド・リバイバルとモンテレイ・モータースポーツ・リユニオンもロレックスは支援している。また、ペブルビーチ・コンクールデレガンス、ペブルビーチ・トゥールデレガンス・バイ・ロレックス、ザ・クエイル・モータースポーツ・ギャザリングというコンクールイベントのスポンサーも務めている。

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